奈義町/横仙歌舞伎

【vol.9】 よこぜんかぶき

岡山県奈義町で江戸時代から受け継がれている「横仙歌舞伎」。

全国的にも珍しい、地元の住民が役者から裏方まで務める

「農村歌舞伎」の伝統が今も息づいています。

「中島東松神座」の演目「仮名手本忠臣蔵七段目 一力茶屋」の本番の一場面。
「中島東松神座」の演目「仮名手本忠臣蔵七段目 一力茶屋」の本番の一場面。

奈義町の歌舞伎を復興させた、ひとりの歌舞伎好きの軌跡

 

娯楽の少ない農村で、農閑期の娯楽として地元の人により演じられる農村歌舞伎は地下(じげ)芝居ともいわれ、全国各地で行なわれていた。江戸時代後期より農村歌舞伎がさかんだった奈義町でも神社や仮設舞台など往時には十数棟の歌舞伎舞台があり、祭りの時期には夕方から夜更けまで村人でに賑わったという。だが、昭和初期になると映画やテレビなどの新たな娯楽が登場。また若者も都会へ流出したため、奈義町を含む各地の農村歌舞伎は衰退していく。

しかし奈義町では、歌舞伎が好きで熱い思いを持ったひとりの行動により歌舞伎の伝統文化が残り、今でも活動が続いている。その人は高森源一。明治29(1896)年生まれの源一は奈義町出身で、子どもの頃から歌舞伎を見るのはもちろん演じて親しんでいた。就職で上京し警察官になった後も歌舞伎が忘れられず芝居小屋に通い、舞台に立つこともあったという。

故郷への還元と、次世代への「礎」

 

退職後の昭和4(1929)年に故郷の奈義町に戻り、農村歌舞伎を盛り上げようと尽力する。まず、大阪の歌舞伎役者で演出や振り付けもしていた山下梅之助に師事し、演出方法を含め歌舞伎のいろはを学び、奈義町に還元。さらに私財で衣装やかつらを揃え、それらが今では奈義町の農村歌舞伎の財産となっている。

また、昔ながらの文字や節まわしまでを源一が書き写した台本「根本(ねほん)」は、今も約200冊が残されており活用されている。それは歌舞伎のプロの関係者からも注目される貴重な資料だ。源一が残したものは、後世に受け継ぐうえでの大きな礎となった。

昭和41(1966)年には、民俗文化財の保護育成への尽力が高く評価され、源一が岡山県重要無形文化財に指定された。同年に有志により「横仙歌舞伎保存会」が発足し、今では町をあげてこの伝統文化を守ろうと活動している。

秋公演の「中島東松神座」の練習風景。本番が行なわれる『奈義町文化センター』にて、浴衣を着て通し稽古が行なわれた。
秋公演の「中島東松神座」の練習風景。本番が行なわれる『奈義町文化センター』にて、浴衣を着て通し稽古が行なわれた。

(左)奈義町に残る貴重なかつらや衣装。町内の一座が利用するほか、町外に貸し出されることもあるそう。

(右)高森源一が書き残した「根本」。勘亭流を崩したような文字で書かれており、これが読めるようになったら一人前といわれる。

継承の広がり:ほかの地域からも頼られる存在に

 

「横仙歌舞伎の中興の祖」といわれた高森源一は、奈義町以外でも頼られる存在となる。農村歌舞伎には役者のほかに義太夫と三味線がつきもの。しかし各地の一座には、役者はいるものの、義太夫や三味線を弾く人がいないのが近年の悩みだという。役者は拍手喝采を浴びる存在だが、脇にいる三味線や義太夫は目立たないうえに技術がいるのでなり手がなかなかいない。そこで農村歌舞伎全般に見識を持つ源一が、ほかの地域の農村歌舞伎に指導に行くようになった。

 

「子どもの頃から広島や小豆島へ手伝いに出かける父親について行っていた」と語るのは、高森源一の息子で、今は横仙歌舞伎の重鎮として役者や義太夫を指導する利夫さん。この道七〇年以上の最長老だ。今でも指導に出かけるといい、「技術を身に着けた者が、歌舞伎を伝承していかなくてはいけない。人材不足の状況のなかで、いかに文化を伝承するかが課題です」とも語る。

一座の指導をする高森利夫さん。役者から相談の声が次々とかかり、信頼の度合いが分かる。
一座の指導をする高森利夫さん。役者から相談の声が次々とかかり、信頼の度合いが分かる。

地域ぐるみの活動:全国でも珍しい「歌舞伎専門職員」

 

横仙歌舞伎は町ぐるみで支援されている点も特徴だろう。特に、役場で歌舞伎専門職員を採用しているのは全国的にも珍しい。現在、歌舞伎専門職員として働くふたりのうちのひとり、二宮直基さんは、職員として採用されたのち「義太夫協会」や神奈川県在住の人間国宝のもとに出向いて三味線の修業を行なったという。今では三味線奏者として横仙歌舞伎の公演に欠かせない存在だ。また、奈義町立奈義小学校での歌舞伎の授業や、さらに町が開講する「子ども歌舞伎教室」で指導も行なっている。

この活動のおかげで歌舞伎に興味を持ち、参加する子どもも増え、着実に次世代の役者が育っている。町内では「横仙歌舞伎保存会」の約50人と、奈義町中島東地区の人々で結成された「中島東松神(まつがみ)座」の約20人が歌舞伎に取り組むまでとなった。

(左)歌舞伎専門職員の二宮直基さん。三味線で舞台を盛りあげるほか、秋公演では司会も担当。

(中)「中島東松神座」では女性や外国人も参加するように。

(右)本番を控えた支度部屋で、化粧して出番に備える。化粧や床山、着付けも地元の人が務める。

 演じる愉しみ、伝える責務

 

長く横仙歌舞伎に関わる高森利夫さんは、演じる愉しさをこう語る。「喜怒哀楽の表現ですからねぇ。悲しいときに泣く。うれしいときに笑う。それがうまい具合にできてお客さんの反応がよかったり、拍手をもらったり、泣いてくださったりすると、やめられん。やってよかったなぁ、と。自分が演じるだけでなくお客さんに感動してもらうのがうれしいから、続けられる」。

演じるうえで声が一番大事とも話す。声が通るか、男性か女性か、年寄りか侍かなど演じる役に合うせりふや言い回し、発声ができるかで配役を決めるという。今の人は歌舞伎に必要な着物を着ることや正座するなどの生活様式に馴染みがないので、そこからの指導になる。しかし「後継者を育てるのは責務」との思いで利夫さんは稽古にも力が入る。

 

「中島東松神座」の演目「仮名手本忠臣蔵七段目一力茶屋」の本番一場面。稽古時とは見違える堂々とした演技。
「中島東松神座」の演目「仮名手本忠臣蔵七段目一力茶屋」の本番一場面。稽古時とは見違える堂々とした演技。

(左)「横仙歌舞伎保存会」は秋公演では『あんまと泥棒』という作品を上演。独自のアレンジも効かせた意欲作。

(右)「横仙こども歌舞伎教室」では、決めぜりふのタイミングでおひねりが飛ぶ。

春の訪れとともに:四季の公演「春」

 

 

目指す大きな公演は春と秋。「春公演の行なわれる『松神神社』は、昔の農村歌舞伎用の舞台が残っているいい会場ですよ」と利夫さん。桜の花が散り、菜の花が咲く頃に盛り上がる春公演を愉しみに待ちたい。

「横仙歌舞伎」を体験

 

「横仙歌舞伎 四季の公演 春」

 

春は、江戸末期の弘化3(1846)年に建てられた、今では岡山県重要有形民俗文化財になっている『松神神社 歌舞伎舞台』で上演される。回り舞台が貴重な『松神神社 歌舞伎舞台』を拠点にする一座「中島東松神座」が中心となり、「横仙歌舞伎保存会」の参加も予定。屋外の公演で、当時の雰囲気が感じられる公演を堪能しよう。

 

 

【公演情報詳細】

  • 名 称: 横仙歌舞伎 四季の公演 春
  • 日 時: 4月29日(水)11:00~13:30
  • 会 場: 松神神社 歌舞伎舞台(勝田郡奈義町中島東607)
  • 料 金: 無料
  • 問合せ: 奈義町教育委員会(TEL: 0868-36-3034)

 

※『オセラ2026年2月25日号』にて掲載。

※掲載の情報は、掲載開始(取材・原稿作成)時点のものです。ご利用前には必ずお問い合わせ・ご確認ください。